ResponsiveSticky Sidebar

スクロールすると、
サイドバーが
上部にぴたっとくっ付き
操作性を向上させる。

sticky sidebar をレスポンシブ対応で作ってみる。特にモバイルではどうなのか?…と、事前調査ではモバイル対応で上手くいっている例が少ない。

モバイルのレスポンシブ対応で、sidebar の幅を極力とらないように変更するとモバイルでも使える。以下はマルクス・ガブリエル氏の言葉を段落に埋めて、どんなデザインになるか、作ってみた。

相対主義

相対主義というのは、「ものごとの事実などないと論じる」ものである。これを道徳に当てはめてみると、現代の人々の多くは、世界には様々な道徳観があるという「道徳的相対主義」が正しいと考えている。

道徳的相対主義者は、西欧には西欧の、ロシアにはロシアの、日本には日本の道徳観があり、「これらの道徳観の善悪を決する基準などない」と思っている。しかしながら、もしそれが真実なら、「正義などなく、あるのは征服だけである」ということになる。実は、それがトランプの世界観であり、ビジネスモデルなのである。

ガブリエルの新実在論は、こうした考え方を真っ向から否定する。相対主義が一般的に常に正しいのであれば、例えば、「子どもを拷問していいか」という質問も相対化されてしまう。ところが、実際にこうした質問をすれば、国や宗教のいかんを問わず、絶対多数の人間がNOと答えるだろう。それはつまり、世の中には「道徳的事実(moral facts)」が存在するということを意味している。こうした道徳的事実は、「他人の立場になって考えてみた時にわかる類のもの」である。

道徳的事実が存在する

道徳的相対主義者は、西欧には西欧の、ロシアにはロシアの、日本には日本の道徳観があり、「これらの道徳観の善悪を決する基準などない」と思っている。しかしながら、もしそれが真実なら、「正義などなく、あるのは征服だけである」ということになる。実は、それがトランプの世界観であり、ビジネスモデルなのである。

ガブリエルの新実在論は、こうした考え方を真っ向から否定する。相対主義が一般的に常に正しいのであれば、例えば、「子どもを拷問していいか」という質問も相対化されてしまう。ところが、実際にこうした質問をすれば、国や宗教のいかんを問わず、絶対多数の人間がNOと答えるだろう。それはつまり、世の中には「道徳的事実(moral facts)」が存在するということを意味している。こうした道徳的事実は、「他人の立場になって考えてみた時にわかる類のもの」である。

パンデミック

パンデミックが宣言されてすぐに人々のモラル(道徳)が進歩していると感じました。モラルとは、人間としてやっていいことと悪いこと、という分別ですが、その狭間にある巨大空間を私は「道徳的に中立」と呼んでいます。人間の行動のほとんどはここに属していて、つまり道徳に関係がありません。たとえば、私が箸で食事をとろうがフォークを使おうが、あるいは仕事に地下鉄で行こうが歩いて行こうが、道徳的なふるまいとは関係がありませんよね。道徳の進歩というのは、こうした道徳的に中立である行為が、あるきっかけによって道徳的な行為になることです。つまりパンデミックの初期から私たちは、マスクを着用したりすることで他者の命を守ることが、道徳的に絶対の義務であることを認識したわけです。これは間違いなく道徳的な進歩と言えるでしょう。さらにこれにブラック・ライブズ・マター運動が続いたのは、単なる偶然ではないと思います。ロックダウン下にあったすべての国で、こうした道徳の進歩があり、よりよい人間になろうとする動きが起こっています。

自由とは

たとえば人には、自分に対して行う分にはいいけれど、同じことを他者にやってはいけないということがありますね。つまり人間と人間の間には不可視な境界があり、もしその境界線を超えようとするなら、相手に許可してもらう必要があります。自分の自由の終わりとは、他者の自由の始まりである、というわけです。セクシュアルな行為に同意が必要であるというのと、まったく同じことです。

ニューノーマル

人々がこのパンデミックについて、まだきちんと理解できていないことがいくつかあると思っています。その最たるものが、このパンデミックには終わりがあるというイリュージョンに囚われていることです。ワクチンが開発されたからといってウイルスの脅威が終わるわけでは決してありません。HIVとともに生きるということと同じです。つまり2019年12月の状態に戻ることは、二度とあり得ないと認識しなければいけないのです。私は、この状況に終わりがあると人々が考えていることが、最大の問題だと思っています。私たちは、人間性の新時代にすでにいるのであり、それこそが、ニューノーマルなんですから。

そして、もうひとつ強調しておきたいのは、私たちが生きる社会システムは、再構築されなければならないということです。とくに教育システムなどは、ただちに再構築されるべきでしょう。小さなころから哲学を学んでいたら、相対主義者もニヒリストも生まれなかったでしょうから。

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