backスクロールすると、サイドバーが上部にぴたっとくっ付き操作性を向上させる Sticky Sidebar を試した。考察しなければならないのは、サイドバーに何を入れるかであろう。該当ページのナビゲーションであるべきだ。私は、ここを段落の頭出しとして使ってみた。
ページ内リンクを複数設けるにはサイドバーの位置は固定のままが操作しやすい。コンテンツ部分がスクロールする。段落がスルスルっとスクロールできるように、 smooth scroll も併せて使うのが良である。以下はマルクス・ガブリエル氏の言葉を借りて、段落を埋めてみよう。
実存主義にせよ、構造主義にせよ、ポスト構造主義(ポストモダニズム)にせよ、その根底にあるのは、社会構造というのは人々が共同行為によって作り上げている夢のようなものであり、そこには当初から意味を持った現実など何もないという理解である。
こうした前提に基づいて、人々は1960年代から1980年代にかけて、第二次世界大戦やベトナム戦争のような社会を抑圧する大惨事から逃れ、皆が自由になるために社会をどのように変えられるだろうかと構想したのである。そして、こうしたポスト構造主義(ポストモダニズム)の思想が経済体制として結実したのが、今のネオリベラリズム(新自由主義)であり、更に、この社会的現実など何もないのだというポストモダニズム的な思考を、政治の世界に持ち込んで大成功したのが、第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプなのである。
ガブリエルの新実在論のポイントは、「本質主義(essentialism)」(個別の事物は必ずその本質を有し、それによりその内実を規定されているという考え方)対「相対主義(relativism)」(認識や価値はその他の見方と相対的関係にあるという考え方)という対立の図式から抜け出す第三の道を開くことである。ガブリエルが否定しているのは、科学が唯一の意味の場となって、そこから人間が取り残されてしまうことであり、逆に、事実を認識して知識を獲得する手段としての科学については、人々が道徳観を形成する上で絶対的に重要であるとしている。
相対主義というのは、「ものごとの事実などないと論じる」ものである。これを道徳に当てはめてみると、現代の人々の多くは、世界には様々な道徳観があるという「道徳的相対主義」が正しいと考えている。道徳的相対主義者は、西欧には西欧の、ロシアにはロシアの、日本には日本の道徳観があり、「これらの道徳観の善悪を決する基準などない」と思っている。しかしながら、もしそれが真実なら、「正義などなく、あるのは征服だけである」ということになる。
実は、それがトランプの世界観であり、ビジネスモデルなのである。但し、それは、自分が全ての事実を承知していて、状況を正確に理解していることが前提条件となる。もし知識と科学を攻撃する者がいて、そのねつ造に成功すれば、我々は道徳的になることが不可能になってしまう。例えば、気候変動を否定する人々は、科学の専門家を攻撃し、知識を葬り去ろうとしているのであり、これがトランプに代表されるような権威主義的な人間が科学を攻撃する理由なのである。
経済的事実、宇宙に関する事実、そして道徳的事実。もし僕らが、何が事実か、何が明らかな事実かを知りさえもしなければ、民主主義の出番など絶対にないだろう。なぜなら、民主主義とは、乱暴に要約すれば、僕が「明白な事実の政治」と呼ぶものに基づくべきものだからだ。それこそが守るべき価値だ。民主主義は人々が実際に知っていることを集め、僕らが実際に知っている点と点を結び、現実の系統的解釈を考え出す。そして現実の系統的解釈の上にのみ、つまり特に「現実がどのようなものかを知ることなどできない」という幻想を乗り越える解釈、この基礎の上にのみ、僕らの時代における大いなる疑問に答えはじめることができる。
僕と君は、根本的には同じだ。現実と道徳的事実がどのようなものか知る能力を持つ人間であり、動物だ。人間であり動物であることの合理性に関するこの洞察を、僕らの教育システムに組み込みことがとても重要だ。そしてようやく、僕らが絶えず直面する嘘やフェイクニュースを疑いはじめることができる。そして哲学はこれを手助けできる。なぜなら哲学の義務はイマヌエル・カントがすでに18世紀に古代ローマの詩人、ホラティウスの言葉を引用して、言った通りだからだ。Sapere Audeすなわち、知恵を持つことに勇気を持て!”